2017/09/20.Wed

聴覚障害 47歳、味に自信の串カツ開店 注文は紙に(2017年9月20日配信『毎日新聞』)

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9月にオープンした串カツ店で、カウンターの客と手話で会話する前川憲司さん(左)=京都市左京区で

 両耳がほとんど聞こえない男性が今月、京都市左京区の京都大近くに串カツ店をオープンさせた。大津市在住の前川憲司さん(47)。本場の大阪で学び、京風にアレンジした串カツを提供する。カウンター15席だけで、注文は紙に書くシステム。「お客さんの呼びかけにすぐには気付かないこともあるけど、味には自信がある」。学生らが行き交う街の一角で新たな挑戦が始まった。

 9月中旬の平日の夜、「串カツ&バー 前川屋」は、予約客で半分ほどが埋まっていた。串カツや串焼き、どて焼きなどが並ぶメニュー表と一緒に「私達は聴覚障害を持っています。注文される時は“お会計票”に書いて下さい」との注意書きが置かれている。平日に共に店を切り盛りするスタッフも聴覚障害者だ。

 オープン間もない今は、客の6割が聴覚障害者、4割が健聴者という。聴覚障害者が客の時は、前川さんは対面式の調理場で忙しく料理を作りながら、手話で世間話に花を咲かせる。フェイスブックなどで知り、海外の聴覚障害者が訪れたこともある。

 前川さんは京都市出身。4歳の時、原因不明の高熱が出た後、聴覚をほとんど失った。手話を覚え、地元のろう学校を卒業して製造会社に勤めたが、自分のペースで働くため店を持とうと決意。家族に料理を作り喜ばれた経験があったことなどから、飲食店を目指し、2015年から知人が経営する大阪・通天閣近くの串カツ店で修業を始めた。

 他の従業員の動き方を観察し、分からないことがあれば何度も尋ねて相手の口の動きを読み取って仕事を覚えた。串カツ店では、油の音の変化で揚がったかどうかを知る人も多いが、代わりに具に刺したつまようじを手首にあて、熱さを確認するようにした。

 京都の別の場所での8カ月間の営業を経て、今年9月1日、現在の場所で店を構えた。大阪で習った方法を基に、ソースは京都の人の好みに合うよう、さっぱりした味にアレンジ。バリッとした衣になるよう、小麦粉の品種や水との配合にも工夫を凝らした。

 前川さんは「接客業をするうえで、障害はハンディキャップかもしれないが、越えられない壁ではない。串カツを食べたお客さんの笑顔が何よりのやりがい。いつか聴覚障害者が店を経営していることが当たり前になればいい」と話す。
 
 営業時間は午後6時~午前0時。月曜定休。予約や問い合わせは前川屋のフェイスブックページから。

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2017/09/20.Wed

<いのちの響き> 盲ろうを生きる(上)触れる手話が親子結ぶ(2017年9月20日配信『中日新聞』)

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怜南ちゃん(中)の両手を取って「ちょうだい」の手話の練習をする内川浩子さん(右)と竜治さん=広島市で

 目と耳の両方に障害がある「盲ろう」。人間は9割以上の情報を目と耳から取り入れるといわれており、その双方に障害があるのは大きなハンディだ。とりわけ、幼い子どもたちにとっては、言葉や文字を覚えたり、両親の顔や声を認識したりするため、発育にも直結してくる。それでも、周囲の大人たちは、そうした子どもたちと触れ合う中で関係を築き、成長を支えている。

 「れいちゃーん」。広島市の主婦、内川浩子さん(31)の大きな掛け声に、居間で寝転がっていた長女怜南(れいな)ちゃん(3つ)の動きがぴくりと止まる。でも、怜南ちゃんがママに呼ばれたことを理解して反応したわけではない。怜南ちゃんは、目があまり見えず、耳もはっきり聞こえない障害があるからだ。

 異変が見つかったのは生後すぐだった。左目がうまく開かず、視線も合っていない。詳しく検査したところ、顔のすぐ前にある物でもぼんやりとしか見えない弱視と診断された。加えて、別の機会に実施した聴力検査で、大声に反応はするが、補聴器を着けても音を識別して言葉として理解するのは難しいことも分かった。

 「出生児にまれに起きる遺伝子の変異が原因のため、治療のしようがない」。浩子さんは、主治医にこう伝えられた。ほほ笑みかけても反応のない怜南ちゃんを育てるのに、喜びをどこに見いだせばいいか分からなかった。

 発達に心配のある子どもを総合的にケアする「子ども療育センター」に1歳半から通ったが、そこでも壁にぶつかった。怜南ちゃんは肢体不自由児の教室に在籍。3歳になっても歩くには手すりが必要なため、浩子さんと会社員の夫竜治さん(31)が「まずは独り歩きできるように」と希望してのことだった。でも、教室の幼児九人のうち盲ろうは怜南ちゃんだけ。絵本の読み聞かせの時間などでは周りが何をしているのかも分からず、一人ぼんやり座っているしかなかった。

 浩子さんは、何とか自分の存在を伝えようと、怜南ちゃんと自分の頬をくっつけたりもした。全国に盲ろう者やその家族の会があるのを知り、勉強会にも参加した。盲ろうの人たちが互いの手話を手で触り合って、言葉を交わしているのを目にした。「やっぱり触れ合うのが大事なんだ」。その思いを強くした浩子さんは、自ら手話を学び始め、実践するようになった。

 まず、ミルクの時間は「ちょうだい」の手話をするのが日課となった。哺乳瓶を口に持っていく前に、怜南ちゃんの上に向けた手のひらを、ポンポンと2回重ねる。おなかがすいてぐずりそうなときも辛抱強く続けると、2週間を過ぎたころ、自分からかすかに両手を重ねるしぐさを見せた。

 「ミルク欲しいんだね?」。それまでは泣くことでしか自分の意思を伝えられなかったのが、初めて言葉でやりとりができたみたいで、浩子さんは怜南ちゃんの頬を両手でなでて何度も褒めた。

 内川さん夫婦は、怜南ちゃんが独り歩きできるようになったら、地元の盲学校に入れようと考えている。物に触れて覚える方法は視覚障害児にも共通するからだ。学校に相談したところ、個別指導に前向きな返事ももらった。ただ、聴覚にもハンディのある盲ろう児を専門的に受け入れる態勢があるわけではない。

 「親身になってくれる先生に巡り会えるといいんだけど」。怜南ちゃんの言葉の世界が広がれば、親子でもっと喜びを共有できる。一方でそのために適した教育がどれだけ受けられるか。浩子さんには期待と不安が入り交じる。



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2017/09/19.Tue

共助の地図 障害者と考える震災ハザード(13)高知県立大大学院 神原准教授に聞く(2017年9月19日配信『高知新聞』)

 日常の対話こそ重要

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「弱い人に優しい文化は、みんなを守れる文化だという観点が必要」と話す神原咲子さん(高知市池の高知県立大学)

 「生き延びる」を意味する古い土佐の言葉を用い、本社が16年に始めた防災プロジェクト「いのぐ」。その一つとして、障害のある人や家族、支援者の「いのぐ」を考えます。

 高知県に暮らす身体、知的、精神の障害者手帳を持っている人は約5万5千人(16年度末)。私たち記者もまず、彼、彼女たちの言葉、言葉にならない思いをみつめることにしました。
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 障害者が震災を「いのぐ」道のりは、まだ険しい。命を守るには、支援が進むには―。災害時の被災者ケアや減災に向けた地域づくりに取り組む、高知県立大学大学院准教授の神原咲子さん(40)に話を聞いた。
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 「逃げられない」「迷惑を掛けるから」。取材に対し、避難行動や避難所生活への「諦め」を口にする人は少なくなかった。

 「他の人よりケアがあるということで、『あの人ばかり…』と思われることに障害者は負い目を感じている。手助けがないと生きていけないなら、ケアしてもらうのは当然なのに」

 「健康な人も(災害から)逃げる途中に脚を折れば障害者。その時、助けられる気持ちが分かっても遅い。お年寄りや子ども連れを『障害者』と言わないだけで、助けてもらわなければならない理由は誰しもにある。自分はいつ、どういう部分で助けられることになるか理解しながら、お互いを補い合うことが大事だ」

 「諦め」の理由はもう一つ、「物理的に逃げる方法がないからでは」とも。

 「障害者だけでなく、(南海トラフ地震の)被害想定が出て、諦めるしかないという高齢者は多かった。でも津波避難タワーができ、『これなら助かるかも』と思ったことで、備えへのモチベーションも上がった。障害者は健康や買い物など日頃の生活での困り事が多い。震災以前の問題をこつこつやっているのに、さらにハードルの高い地震対策をと言われても考えられる段階にないのでは」

 「障害者」と一言でくくられがちだが、障害の種別や程度によって、困り事はさまざま。当事者が必要としている支援と、用意されたマニュアルや制度がかみ合わないこともある。

 「そもそもどんなことに困っているのか、共通理解をしていない。地域の(人間関係の)希薄化で、他人を知る機会が減っている弊害もあるかも」

 全ての障害者に、付きっきりで専門的な支援が必要なわけではない。段差の前に車いすの人がいれば、車いすを押す。放送で流れた情報を、聴覚障害のある人に文字で伝える。本当は、ちょっとした行動であることも多い。

 「足りないところに柔軟に手を貸すことができれば、補完できる。それは障害者が他の人を助けることにもつながると思う」

 「大切なのはコミュニケーションと、相手を思いやる気持ち。それは防災対策ではなくて、日頃の地域の文化だと思う。この人に何が必要なのか、見て聞いて、コミュニケーションを取って解決策を見いだす力が必要。それは公助でも、制度でもない」
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 まずは何から始めれば良いのだろうか。

 「防災訓練などで互いを理解し合うと、『これって結局、日常から必要なことだね』と気付く。高知は防災への関心が高い。防災から日常のコミュニケーションを考え直す、いい循環になればと思う」



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2017/09/19.Tue

ご用は手話、筆談で=東大近くのカフェ人気-「障害者雇用広げたい」(2017年9月19日配信『毎日新聞』)

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公用語を日本手話と書記日本語(筆談)とするスープカフェとして2011年12月27日に本郷の地に誕生

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カフェの客と手話でやりとりするアルバイト店員の綿引宏さん=4日、東京都文京区

 東京都文京区にあるスープカフェ「Sign with Me(サイン・ウィズ・ミー)」では、耳の聞こえない「ろう者」の店員が主に手話と筆談で客とのコミュニケーションを取る。店内の壁一面に掛かったホワイトボードには「手話を上達させて必ずまた来ます」など100を超えるメッセージが寄せられ、近所の大学生や常連客の憩いの場となっている。

 オーナーで自身もろう者の柳匡裕さん(44)が最初の店をオープンしたのは2011年12月。民間企業などに勤務していたこともあるが、当時から「ろう者の職場定着率が悪い」と感じていた。転職先で経験が生かせない部署に配属され、「使えない」と言われたことも。ろう者を受け入れる「入り口」はあっても、入ってから力を発揮できる環境が整っていないことを痛感した。

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手話と筆談でインタビューに答える「Sign with Me」オーナーの柳匡裕さん=4日午後、東京都文京区

 起業のヒントになったのはあるインド料理店。外国人の店員を相手に、指で料理の写真をさすとスムーズに注文できた。「言葉が通じなくてもビジネスは成立する」。障害者が障害者を雇用することで働ける仕事の幅を広げ、そのことを広く発信しようと決めた。

 活動を知ってもらうため、最初の店は多くの人材を輩出する東京大の近くに開いた。昨年4月には近くに2号店をオープンするなど、経営は順調だ。客は料理の写真を指さしてオーダーし、それ以外のやりとりは手話や筆談、身ぶりで行う。

 アルバイトの大学生綿引宏さん(23)は、取材に「手話に自信がなかったけど、使っているうちにうまくなってお客さんに褒められた。

 卒業後もここで働きたい」と筆談で応じ、笑顔を見せた。初めて来店したという大学1年の上野尚輝さんは「料理もおいしく、とても居心地がいい」と話し、友人らと食事を楽しんだ。
 
 柳さんは「まずは自分たちの存在を知ってもらい、将来的にはもっと店舗を増やして雇用の場をたくさんつくりたい」と意気込んだ。

「Sign with Me」HP➡ここをクリック(タップ)



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2017/09/19.Tue

9月19日は、糸瓜忌(へちまき)

 正岡子規の忌日。9月19日。絶筆三句にヘチマが詠み込まれていることから。子規が獺祭書屋(だっさいしょおく)主人と号したところから「獺祭忌(だっさいき)」ともいう。秋の季語。

 絶筆三句とは、画板に紙を貼ったその中央にまず、「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」。次いで紙の左端に「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」。さらに右端に「をとヽひのへちまの水も取らざりき」。ここまで書いて完全に力が尽き、あとは絶命まで目が覚めなかったという。

s-四季



(2017年9月19日配信『秋田魁新報』-「北斗星」)

 明治29(1896)年は今年同様、本県を含め各地で自然災害が起きた。9月に東京が台風による水害に遭った直後、俳人正岡子規は〈淋(さみ)しさや嵐のあとの秋の風〉と詠んだ

▼台風が日本列島を縦断し、東京も雨だったこの週末。台東区根岸の「子規庵(あん)」を訪ねた。戦中に焼失した4間ほどの子規の居宅を同地に再現した木造平屋。子規が明治27年から住み、同35年9月19日に34年11カ月の生涯を閉じた所だ。きょうは子規の命日。絶筆3句でヘチマを詠んだことから、命日は「糸瓜(へちま)忌」とも呼ばれる

▼子規庵での8年間の大半は床に伏せった。転居の翌年に日清戦争の従軍記者として中国に渡り、帰りの船で血を吐いて療養に入る。冒頭の句の年にはカリエスと診断され、歩行困難となった

▼肺病を患ってはいたが、子規庵に移る前年の26年が最後の健やかな年だったかもしれない。江戸中期の俳人松尾芭蕉の足跡をたどって旅をし、象潟や八郎潟を来訪。美郷町の黒森峠では〈蜻蜒(とんぼう)を相手にのぼる峠かな〉と詠んでいる

▼「仰臥(ぎょうが)漫録」に〈秋の蚊のよろよろと来て人を刺す〉と書いたのは34年9月20日。自らを蚊に投影したような句を詠んだ1年後、子規は逝った

▼来館帳に「秋田県」と書くと、案内人に「石井露月さんの所ですね」と声を掛けられ、子規の高弟だった露月の話をしながら庭に出た。ヘチマ棚にヘチマが何本か下がっていた。病床に伏す子規がずっと眺めていた光景である。子規の短い生涯を思った。



優劣なき命(2017年9月19日配信『愛媛新聞』-「地軸」)

 その言葉が変わればきっと誤解や傷つく人も減るだろう。日本遺伝学会が、100年以上使ってきた遺伝学用語「優性・劣性」を「顕性・潜性」に言い換えると決めた

▲遺伝子の特徴が現れやすい方を「優性」としていたが、優劣があるとの偏見や差別につながりかねず、見直したという。「色覚異常」も「色覚多様性」に。まさしく「命は多様で、優劣などない」―誰もがそう思える呼称の定着を願う

▲そもそも分かりにくい医学用語。言い換えの配慮が、もう少し欲しい。例えば、がんの「標準治療」。平均的と思われがちだが、実は「科学的根拠のある、現時点の最善の治療」

▲「最新」や「先進」医療より信頼度が高いのに、印象は逆。ある医師は「標準治療は現役チャンピオン。最先端は、有望そうだが経験の少ない挑戦者」と例えた。そんな丁寧な説明が患者を救い、支えることも

▲心身の痛みを和らげる「緩和ケア」も、初期から必要なのに、終末期だけとの誤解は根強い。もし言い換えるなら「人生積極支援治療」だろうか。その大先輩が、正岡子規

▲麻痺(まひ)剤(モルヒネ)で痛みを抑え、最期まで旺盛な創作を続けた。それでも門人への手紙にこう記す。「世を去りたらば無念の一念大魔王と化し、多病の人を守護して事業を成さしむべし」。亡き後も人を支え、励ます一念。短くとも、多病でも濃密な人生がある。優劣なき命の大切さを思う、きょうは糸瓜(へちま)忌。



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2017/09/19.Tue

おんなのしんぶん・MyWay;わたしの生き方 当たり前の存在に ろうの女優・忍足(おしだり)亜希子さん(2017年9月18日配信『毎日新聞』)

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忍足(おしだり)亜希子さん=東京都千代田区で

 耳が聞こえないのは生まれつきですが、周囲が気付いたのは3歳ごろ。両親と弟は聴者(耳が聞こえる人)で、話しかけても振り向かないのをおかしいと思ったそうです。ろう学校が近くになく、両親が生まれ育った横浜市に引っ越しました。

 当時のろう学校は手話が禁止されていて、発声や口の動きを読み取る「口話教育」が授業の中心。聴者に合わせることが、社会への順応につながるという考えが前提にあるのでしょうね。家族のコミュニケーションも口話で、手話は社会人になるまで知りませんでした。

 東京の短大に進学し、初めて聴者の友達ができました。学力が足りず4年制大学には行けなかった。ろう学校では口話教育に多くの時間が割かれるので、普通の勉強は遅れがちなんです。大学では講義を書き取るノートテークや手話通訳の支援がなく、友達に頼むしかない。優しそうな人を見つけてお願いすることが、最初の関門でした(笑い)。今は支援を受けられる大学が増えています。

 父が航空機の整備士だったことから、キャビンアテンダントに憧れていた。でも「お客さんと意思疎通できないとだめ」と。絵を描くのが得意で漫画家になりたかったけど「語彙(ごい)力や知識が必要」と言われてあきらめた。自分に何ができるのかわからなくて、短大の先生が紹介してくれた銀行に就職しました。人と関わらなくてもできる事務仕事で、毎日同じ繰り返し。5年で辞めて「自分探し」の旅に出ました。その少し前、手話サークルの講師に誘われてテレビ番組に出演したんです。子供の頃から見ていたノッポさんと一緒で、すごく楽しかった。人前に出ることに興味を持つきっかけになったかもしれません。

 28歳の時、友達のすすめで受けた映画「アイ・ラヴ・ユー」のオーディションに合格。聴者とろう者の共同監督で、ろうの女優が初めて主演するという画期的な作品でした。映画の中に「手話は日本語や英語、フランス語と同じ一つの言語」というセリフが出てきます。母はショックを受け、手話の大切さを理解したみたいです。ろうの俳優は少なく、役も限られている。かわいそうで孤独な存在として描かれることが多いけれど、実際は楽しく生きています。ドラマや映画にもっと当たり前に登場するようになってほしいです。

 共演した萩原聖人さんの草野球チームの試合で、夫と出会いました。実は結婚するまでに2度別れたんです。ろう者と聴者の恋愛は長続きしない。特に女性がろう者、男性が聴者のカップルはすごく少ない。女性が男性をサポートするのが当然だとされているからでしょうか。夫は最初のデートで「手話を教えてほしい」と言って、一生懸命勉強してくれた。10年前から音楽と手話を融合した「手話ソングライブ」を主宰していて、夫婦で手話教室も開いています。

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 41歳で子供に恵まれました。産声は、胸に抱いた時の振動で感じた。夜中に赤ちゃんが起きても気付かないので、泣き声に反応して強く光るランプを買ったんです。夫が先に起きることになるんですけど(笑い)。積極的に協力してくれるので、苦労したと思ったことはありません。

 娘は聴者ですが、最初に覚えたのは手話。10カ月の時、ご飯をあげると頬をたたいて「おいしい」って。誰にでも優しく、大きな希望を持ってほしいという願いを込めて優希と名付けました。私はなかなか夢を見つけられませんでしたが、娘には目標をしっかり持ってほしい。聴者とろう者の懸け橋になってくれれば、と思います。



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『アイ・ラヴ・ユー』に続くシリーズ第2弾!

大ヒットとなった前作を受け、忍足亜希子が再び主演!
‘ろう者と聴者がともに作る映画’というコンセプトはそのままに、舞台を京都に移して、写真家の女性の奮闘を描く。
本作は京都から新たな映画文化を発信するため、京都市が製作費を助成する京都シネメセナの第2回作品として作られた。

<ストーリー>
ろう者のカメラマン美樹は夫を亡くし、息子と義妹と3人暮らし。
ある日、心に深い傷を負った造園家・柴田と出会う。
過去から立ち直れず、人との関わりを避けようとする柴田だが、不思議な力によって美樹との距離は縮まっていく。そして柴田の過去を知った美樹は、彼を励ますためにある方法を思いつく…。

<キャスト>
忍足亜希子/萩原聖人/藤田朋子/石倉三郎/田村高廣

<スペック>
2001年/日本/113分/片面一層/カラー/ビスタ
★日本語字幕付き(ON/OFF選択不可)
★ボイスメニュー
メニュー画面での操作方法を音声にて解説
★ミックス音声
本編再生時に日本語と日本語音声ガイドの2バージョンの音声を左右チャンネルに振り分けて再生可能(ろう者と聴者がともに楽しめる上映会が可能)。
発売:こぶしプロダクション
販売:新日本映画社
5,184円



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2017/09/18.Mon

「敬老の日」

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「長生すれば、楽多く益多し」(2017年9月18日配信『茨城新聞』-「いばらぎ春秋」)

 「座りすぎは健康に悪い」といった調査結果を聞いて、どきりとした。わが身は長距離の電車通勤に加え、車を運転してもドア・ツー・ドア。パソコンに向かえば延々と文章をこね回すタイプ。座っている時間の方が圧倒的に長いのだ

▼これではまずいと、駅では階段を使う。電車の席が空いてもつり革につかまる。われながら涙ぐましい努力だが

▼約300年前、碩学はこう説いた。「身体は日々少づつ労働すべし。久しく安坐すべからず」。江戸時代の儒学者、貝原益軒の「養生訓」の一節。毎日体を動かすのは健康維持の基本だが、指南の的確さに改めて驚く

▼きょうは「敬老の日」。昨年の日本人の平均寿命は過去最高を更新した。戦後間もないころに人生50年だったことを思えば、平和で健康的な暮らしのありがたみが分かる。戦後の復興を支えた先達に敬意を表する日としたい

▼世界に例のない速さで高齢化が進む長寿大国日本。2025年には団塊の世代が後期高齢者となる。老いも若きも知恵を出し合って、困難な課題に向き合うときだ
▼「長生すれば、楽多く益多し」(養生訓)。長生きをすれば日々知識も深まり、充実した人生の黄金期を過ごせる。心身をいたわり、いつまでも自立を心掛けたい。



十人十色(2017年9月18日配信『毎日新聞』-「余禄」)

 映画監督の関口祐加(せきぐち・ゆか)さんは認知症の母との日常をユーモラスに描いた映画「毎日がアルツハイマー」で知られる。認知症予防財団の広報誌にコラムを寄せていた。母が何年も使っていないガス台の火を付け、ぼやを起こしたという

▲お茶を飲もうとしたのならいつものようにレンジで温め直したはずだ。関口さんは「探偵」になる。翌日、原因を突き止めた。レンジのコンセントが抜けていて使えなかったのだ。認知症のせいにしてしまえば分からなかった。母には母の理由がある

▲この人も探偵なのかもしれない。大学准教授から介護士になった六車由実(むぐるま・ゆみ)さんだ。介護現場に民俗学の聞き書きの手法を取り入れた。施設の入所者は記憶が薄れていると思っていたが、思い出深い出来事は表現豊かに語ってくれる。著書「介護民俗学へようこそ!」にある

▲料理の話をしないおばあさんがいた。なぜかいなりずしの作り方だけは詳しい。話を聞いていくうちに理由に思い当たる。両親は料亭を営み、商売繁盛を祈願してお稲荷(いなり)さんにいなりずしを供えた。それを近所にも配るのが子供の役目だったという

▲そんな暮らしは戦争で途絶える。六車さんはこう感じた。「いなりずしは子供のころの幸せの象徴だったのかもしれない」

▲関口さんはコラムの中で、イギリスのある精神科医の言葉を紹介している。「認知症という病気だけが同じで、後は十人十色」。長い歳月を重ねた人に、私たちは一人の人間として接しているだろうか。きょうは敬老の日。



「顔に味わいが増えた」(2017年9月18日配信『南日本新聞』-「南風録」)

 「日本のおじいさん」と呼ばれた俳優がいた。映画「男はつらいよ」シリーズや小津安二郎監督作品などで知られた笠智衆さんである。40代後半には70代の役を演じていたから、日本を代表する老け役だ。

 熊本なまりのぼくとつとした語り口が印象深い。深いしわに彩られた表情には人生を重ねたからこそ出せる味があった。共演が多かった女優の杉村春子さんは「あの方は年を取れば取るほどすてきになった」と語っていた。

 しかし、一般的にしわが好まれることはない。老いは恐れられ、若さはもてはやされる。加齢にあらがい、老化防止を意味する「アンチエイジング」が盛んに取り上げられるのもそのせいだろう。

 だが先日、米国の女性誌編集長が「アンチエイジングという言葉はもう使わない」と宣言し、年を重ねることを否定的に捉える風潮に一石を投じた。加齢を自然に受け入れ、年相応の美しさを目指そうということか。

 きょうは敬老の日。鹿児島県の平均寿命は82歳を超し、満100歳以上も1500人近くいる。炊事や洗濯などを自ら担い、畑仕事に汗する人も少なくない。穏やかな笑顔のしわ一本一本にどんな人生が刻まれているのだろう。

 老いは誰にも等しく訪れる。見かけだけの若さばかりを追い求めては豊かな晩年はおぼつかない。しわを見つけたら「顔に味わいが増えた」と喜ぶぐらいの余裕を持ちたい。



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2017/09/18.Mon

あいサポート条例;社会変えよう 鳥取で記念フォーラム(2017年9月17日配信『毎日新聞』-「鳥取版」)


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フォーラムの最後に、障害者が暮らしやすい社会に向けて宣言をする登壇者ら=鳥取市尚徳町のとりぎん文化会館で

 2017年9月1日に施行された「鳥取県民みんなで進める障がい者が暮らしやすい社会づくり条例」(愛称・あいサポート条例)の制定を記念したフォーラムが9月16日、鳥取市尚徳町のとりぎん文化会館であった。県民ら約350人が参加し共生社会の実現に向けた新たな一歩を喜ぶとともに、障害者の参加を阻んでいる社会の課題について学んだ。

 NHK・Eテレの情報バラエティー番組「バリバラ」の司会者、山本シュウさんが進行役を務め、脳性まひがある番組出演者の玉木幸則さん、放送作家の鈴木おさむさんが登壇。平井伸治知事らが、5本の柱を基にしたあいサポート条例の理念などを説明した。

 玉木さんは、柱の一つである差別解消について、障害者からの悩みに応じる相談員としての経験を紹介した。障害者差別解消法の施行に伴い各地にできた相談支援センターの利用が少ない現状を示し、「(障害)当事者も周囲も差別だと気付かないことが多い。相談に来ても『困りましたね』で終わってしまう」と指摘。センターが機能するための具体的な施策が必要だと述べた。鈴木さんはセンターの名称に「差別」という言葉が含まれていることが利用をためらわせるとして、気軽に話ができる雰囲気に改称することを提案した。

 あいサポート運動や全国初の手話言語条例制定などに取り組んできた鳥取県。山本さんは「今、時代が変わろうとしている。鳥取がそのリーダーになってほしい」と力を込めた。玉木さんは、これまでの積み重ねが今回の条例施行につながったと語り、「県民がきちんと趣旨を理解した上で実践していくことが大事だ」と呼びかけた。

 県聴覚障害者協会事務局長の石橋大吾さんと全国脊髄(せきずい)損傷者連合会山陰支部長の福永幸男さんも加わり、県の取り組みに対する意見交換もあった。石橋さんは手話を教える学校が県内で増えている現状を歓迎しつつ、「手話の普及だけでなく、聞こえない人への理解を深めることも大切」と強調。県車椅子バスケットボール協会の理事長も務める福永さんは「設備の整った宿泊施設がなく、障害者スポーツの全国大会ができない」と窮状を訴えた。

 最後には全員で、「障害の有無に関わらずお互いを尊重し支え合い、障害者が暮らしやすい社会を作ります」などと宣言。介護関係の仕事に就く鳥取市の田中香織さん(35)は「町の中には(社会参加をしづらくしている)障害が、まだまだあると知った。まずは気付くことから始め、周囲の人とも解消策について意見を言い合いたい」と話した。

あいサポート条例詳細は➡ここをクリック(タップ)



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2017/09/17.Sun

【邦画日本語字幕上映】 奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール


9月26日公開 上映時間 100分

【日本語字幕上映】
シネマサンシャイン衣山
9/27(水)~9/30(土)
 
fax:089-911-0080

 絶妙な細かいディテールが人気の渋谷直角によるサブカルマンガを、妻夫木聡&水原希子の共演、「モテキ」「バクマン。」の大根仁監督により実写映画化。

 奥田民生を崇拝する雑誌編集者を主人公に、全編にわたって奥田民生の楽曲が使用されるラブコメディ。

 「力まないカッコいい大人」奥田民生に憧れる編集者コーロキが、おしゃれライフスタイル雑誌編集部に異動となった。仕事で出会ったファッションプレスの美女、天海あかりに一目ぼれしたコーロキは、あかりに見合う男になるべく、仕事に精を出し、デートにも必死になる。しかし、やることなすことすべてが空回り。あかりの自由すぎる言動に常に振り回され、コーロキは身も心もボロボロになってしまう。

 コーロキ役を妻夫木、あかり役を水原が演じるほか、松尾スズキ、新井浩文、安藤サクラ、リリー・フランキーらが脇を固める(映画.com)。

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邦画日本語字幕上映の案内
2017/09/17.Sun

聴覚障害乗り越え「金」呼ぶスパイク 日本女子バレーボール代表・平岡早百合さん(2017年9月17日配信『東京新聞』)

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デフリンピックのバレーボール日本女子代表のスパイカーとして活躍した平岡さん=深谷市で

 トルコ・サムスン市で7月に開かれた聴覚障害者の国際総合スポーツ大会「デフリンピック」。その栄えある大会で金メダルに輝いた日本女子バレーボールの中心メンバーに、正智深谷高校3年の平岡早百合さん(18)=美里町=がいた。身長163センチの小兵ながら力強いスパイクで強豪国を翻弄(ほんろう)し、16年ぶりの悲願達成に貢献した。 

 デフリンピックの女子バレーは、米国やロシア、イタリアなど9カ国が出場。日本はリーグ戦とトーナメント戦で七試合をし、5セットマッチですべて3-0と、圧倒的な強さを見せつけた。平岡さんは2試合目以降フル出場し、相手のブロックアウトを狙う巧みな攻撃でチームの勝利に貢献した。

 平岡さんは1999年、美里町に生まれた。小学1年の時、いつもテレビを間近で見ていたことから先天性の難聴と分かり、補聴器を身に着けるようになった。バレーをしていた姉の影響で、3年の時に地元のスポーツ少年団に。「みんなで喜びを分かち合うのが楽しい」と高校まで競技にのめり込んだ。

 日本代表として招集されたのは昨年11月ごろ。障害がありながらも、高校バレー部の中心選手として活躍する姿が、大会関係者の目に留まり、高校に連絡があった。平岡さんは「デフリンピックの存在は知らなかったが、バレーの全日本代表になるのが夢だった」と話す。

 聴覚障害者の大会だけに思わぬ「壁」もあった。平岡さんは補聴器を装着すれば健常者と同じように会話ができるが、デフリンピックでは認められていない。他の選手は手話で会話をするが、平岡さんはほとんど理解できない。練習や試合の際は床面を足でたたいて振動を伝え、意思の疎通を図ることもあった。

 決勝でイタリアを下し、優勝が決まった瞬間は「金メダルを取っちゃった」。すぐに家族から祝福の電話があったが、補聴器がなくて会話ができなかったという。大会後は「バレー部のチームメートや先生たちが自分のことのように喜んでくれた」と振り返る。

 高校で指導に当たる女子バレー部監督の森忠広教諭は「(動画共有サイトの)ユーチューブで観戦していたが、最初は金メダルを取ったという実感が湧かなかった。チームメートに気を使うとっても心優しい生徒」と目を細める。

 高校卒業後は都内のスポーツ系の専門学校に進学することが決まっている平岡さん。「デフリンピックではみんなが一つになって試合を楽しめた。4年後の大会にもぜひ出場したい」と意気込んでいた。



広報Y.T
広報部
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