2018/05/23.Wed

聴覚障害者に手話フォン 新居浜の技術が支える(2018年5月23日配信『朝日新聞』-「愛媛版」)

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画面に映る市役所支所の利用者と会話する手話通訳者(手前)=新居浜市役所

 聴覚などに障害のある人でも電話で相手と連絡をとれるようにと、新居浜市のシステム開発会社「妻鳥(めんどり)通信工業」が日本財団(東京)と「手話フォン」を開発した。昨年末から羽田、成田などの各空港に設置されている。今月からは地元・新居浜市の役場でもこの技術を生かした遠隔手話システムが導入された。

 手話フォンを利用するには、まず連絡を取りたい相手の電話番号をタッチパネルに入力する。すると画面に手話通訳者が現れるので、伝えたい内容を通訳者に手話で伝えると、通訳者が仲介役として相手と口頭で電話し、その通話の内容を画面ごしに手話で伝えてくれる仕組みだ。誰でも無料で利用でき、これまでに国内の空港や視覚障害者らが通う大学など計6カ所に設置された。

 「WebRTC」という通信技術を応用しており、専用のソフトがなくても、一般的なネット閲覧ソフトだけで利用できる点が特長だ。

 妻鳥通信工業の技術を利用したこの仕組みは2016年9月から、日本財団が取り組んできた「電話リレーサービス」(13年開始)に提供された。現在は月に約6千人(17年10月時点)がこのサービスを利用している。この仕組みをもっと多くの人に知ってもらおうと、日本財団が昨年12月から「手話フォン」という名称で空港などの公共施設に設置を始めた。

 「映像の解像度が低くて通訳士の手がぶれてもいけないし、解像度が高すぎて通信速度が遅くなってもいけない」と妻鳥圭志社長。映像の解像度は手話に適した大きさに調整した。限られた特定のサーバーのみを経由するため、盗聴などの心配も少ないという。「今後は民間企業にも広めたい」と話していた。

地元市役所も遠隔手話通訳導入

 妻鳥通信工業がある新居浜市では5月から、市役所支所や自宅からタブレット端末やスマホで行政手続きや相談ができる遠隔手話通訳サービスを導入した。通信でつながった本庁の手話通訳者と、画面を通じてやりとりができる。

 市地域福祉課によると、無料通信できる「Skype」「LINE」といった専用アプリをインストールする必要がなく、盗聴や情報改ざんといった危険性が極めて少ないという。

 利用希望者は市へ登録申請し、専用のIDとパスワードを取得。一般のネット閲覧ソフトから専用サイト(川東、上部、別子山の3支所のタブレット端末)から地域福祉課のパソコンにつながるほか、自分のスマホからもアクセスできる。

 1日に市役所で式典があり、石川勝行市長は「障害のある方、ない方の人権と個性が尊重される共生社会の実現に向け、障害の特性に応じた施策を今後とも積極的に展開したい」とあいさつ。川東支所との間で住民票取得の手続きのやりとりが実演された。

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WebRTCを使って映像通話のテストをする妻鳥通信工業の社員=新居浜市

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2018/05/22.Tue

河村市長「クレーンで障害者を天守閣に」 名古屋城問題(2018年5月22配信『朝日新聞』)

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名古屋城木造新天守へのエレベーター不設置方針に抗議する障害者ら=名古屋市役所

 名古屋城木造新天守にエレベーターを設置しないという名古屋市の方針に反対する障害者らが21日、市役所前で抗議集会を開いた。視覚や聴覚に障害がある人を含む約150人が参加し、代表者が抗議文を河村たかし市長に提出した。

 参加者は4時間にわたって「(市が代替案とする)新技術でごまかすな」「エレベーターは絶対必要だ」などと訴えた。主催団体の斎藤縣三共同代表(69)は「健常者も含め大きな市民の声にしたい」と話した。

 一方、河村氏はこの日の記者会見で、クレーン車を使った新技術を応用して障害者を新天守低層階まで運び上げる案を示した。「なるべく上まで上がれる挑戦をする」と、障害者へ説明を続ける考えを示した。



河村市長、障害者らと面会へ 名古屋城のEV不設置で (2018年5月21日配信『日経新聞』ー「中部版」)

 名古屋市の河村たかし市長は21日の定例記者会見で、市が木造復元を目指す名古屋城天守閣のバリアフリー対策について、障害者らに直接面会して理解を求める方針を改めて強調した。天守閣にエレベーターを設置しない方針を表明しており、「私自身が丁寧に説明して相談を聞く」と述べた。

 一方で「(名古屋城は)完璧な図面が残っている」「(エレベーター)は梁(はり)や柱など(木造天守閣の)基本構造を変えることになる」とも語り、史実に忠実な復元を優先する考えを示した。

 そのうえでバリアフリー対策として、消防車の大手メーカーが「400キログラムまで(カゴに)載る車椅子に対応した車両を開発した」と披露。車いすのまま救助できる消防車の技術を使って、障害者に木造天守閣まで上がってもらうアイデアを示した。

 市役所周辺では同日昼から障害者団体などが抗議活動を行った。県内の障害者団体の呼びかけで結成した「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」の代表者は市長の会見前に「市の方針は障害者への差別・人権侵害である」とする抗議文を市長に手渡した。これに対し市長は「説明に行くのでちゃんと聞いてほしい」と語った。





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2018/05/21.Mon

5月21日 月昼学習会

5月企画(2108年度第2企画)

子規記念博物館見学

本日の参加者16名(内ろう者6名)

特別展「明治まつやま偉人伝-時代をつくった人びと-」+常設展

 今から150年前、日本は明治維新という大きな変革を迎える。旧幕府方だった松山藩は、動乱の中で苦しい立場に置かれましたが、藩主松平定昭の英断や、子規の祖父で藩主の教育係であった大原観山らの尽力で、城下は戦火をまぬがれまた。逆境の中で新しい時代を迎えた松山の人びとは、旧藩主久松家を中心に、政治・経済・教育・文化など、さまざまな分野で活躍し、「松山」の名を再び高めようと、志を胸に立ち上がった。
 今回の特別展は、明治150年を記念し、明治維新の逆境から立ち上がり、ふるさと松山の発展や日本の近代国家としての歩み、そして文学や芸術の探求に功績を残した偉人たちの関連資料や書画と遺品などを展示し、時代をつくった明治松山の偉人たちの功績や人柄に迫るものとなっている。

【登場する主な人物】
正岡子規・秋山好古・秋山真之・加藤拓川・久松定謨(さだこと)・伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)・夏目漱石・高浜虚子・河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)・桜井忠温ほか

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 のぼり旗の酒井政俊は大阪の旅回り一座・大成団(酒井政俊一座)の座長。愛媛県下浮穴郡大南村(現・砥部町)出身でのちに「劇界の至宝」「日本現代演劇の父」とよばれた井上政夫(のち正夫)(本名小坂勇。1881~1950)は、奉公先の大阪で新派を観て感動。1898(明治31)年5月、大成団に入り、師匠・酒井政俊の「井」と「政」の字をもらっての芸名で出演し、次第に頭角をあらわしていった。



夏目漱石;英留学中の直筆はがき、1世紀ぶり確認 福井で(2018年5月23日配信『毎日新聞』)

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夏目漱石が藤代禎輔に送った絵はがき=福井市の福井県庁で2018年5月21日午前

 福井県は23日、英国に留学中だった夏目漱石(1867~1916年)が1900、01年、友人に宛てて書いたはがき3通が見つかったと発表した。「僕ハ独リボツチデ淋イヨ」などの記述があり、専門家は「留学生活の様子がうかがえる貴重な史料」としている。

 はがきは、漱石と同じ船でドイツに留学した国文学者の芳賀矢一(1867~1927年)と、ドイツ文学者の藤代禎輔(1868~1927年)に宛てている。いずれも17年から刊行された「漱石全集」(岩波書店)に文章だけが掲載され、その後は所在不明となっていたが、昨年9月に福井市内の古本店で見つかった。

 藤代に宛てた2通は共に絵はがき。渡英して1カ月後の1900年11月21日付のはがきでは、日本人学生が多いドイツをうらやんで「僕ハ独リボツチデ淋イヨ」と嘆き、「学校ノ講義ナンカ餘リ下サラナイヨ」とくだけた文章で書いている。また芳賀宛ての01年8月1日付のはがきでは、亡くなった学友の記念文庫を設立しようとの芳賀の提案に改まった文体で「小生も無論賛成致候」と賛意を示している。

 はがきを鑑定した早稲田大の中島国彦名誉教授(日本近代文学)は「1世紀を経て手紙が見つかり、驚いている。留学先での漱石の心情や生の筆遣いが分かり、興味深い」と話している。

 3通は26日から福井市の県立こども歴史文化館(0776・21・1500)で公開される。

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文豪、夏目漱石が大の手紙好きだった(2018年5月24日配信『福井新聞』-「越山若水」)

 文豪、夏目漱石が大の手紙好きだったことはつとに有名である。門下生に宛てて「小生は人に手紙をかく事と人から手紙をもらう事が大すき」と記したほどである

▼残された書簡類は優に2500通を超えるという。その筆まめぶりと律義さを証明するのが1915年、単身で京都へ旅行し病気で倒れたときのエピソードだ

▼東京に戻った漱石は世話になった人への礼状や不在中に届いた手紙の返事を書いた。京都の女将(おかみ)に迷惑をかけたことをわび「此(この)手紙は十四本目です」と付け加えた

▼また18歳年下の武者小路実篤が、新聞の戯曲批判に不満を述べると「それと戦うよりもゆるす事が人間として立派なもの」と諭し、修養に励むよう元気づけた。武者小路は手紙を読んで涙したという

▼一連の話は小山慶太さんの「漱石先生の手紙がおしえてくれたこと」(岩波ジュニア新書)から引用した。ただ手紙で思いを伝えるやり方は英国留学中も同じだったらしい

▼漱石が二人の学友に送ったはがき3通の原本が福井市で見つかった。「僕ハ独リボツチデ淋(サビシ)イヨ」。神経衰弱で落ち込んでいた当時の心情が痛々しい

▼漱石が精神的どん底から立ち直ったのは手紙の力かもしれない。その原点でもあるロンドンからのはがきが県立こども歴史文化館で公開される。自称「吾輩は手紙好き人間」の文豪の直筆をじっくり拝見したい。



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2018/05/20.Sun

【邦画日本語字幕付き上映】 さらば青春、されど青春。


日本語字幕付き上映
シネマサンシャイン衣山
5/19(土)~21(月)(時間の詳細は劇場へ要問合せ)
tel089-911-0066
fax:089-911-0080

 宗教家の大川隆法が製作総指揮・原案を担当し、幸福の科学出版が製作した実写映画で、「君のまなざし」の大川宏洋と、清水富美加としてNHK連続テレビ小説「まれ」などで活躍した千眼美子が共演するラブストーリー。

 昭和50年代の東京。故郷を離れて名門大学に進学した中道真一は、真面目で志も高く、勉学に励んだ末に大手商社に就職。

 将来を期待されエリート街道を進むが、実は誰にも言えない秘密を抱えていた。それは、学生時代に霊的覚醒を体験してから、神々とのコンタクトが続いているということだった。

 そんなある日、真一は同じ会社に勤める都会的で洗練された女性・額田美子と運命的な出会いを果たし、惹かれあうが……。

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2018/05/20.Sun

【邦画日本語字幕付き上映】 のみとり侍

5月18日公開 上映時間 110分

日本語字幕付き上映
シネマサンシャイン衣山
6/3(日)~6/6(水) (時間の詳細は劇場へ要問合せ)

Tel;089-911-0066
fax:089-911-0080

 「後妻業の女」などの鶴橋康夫監督が、「テルマエ・ロマエ」の阿部寛とタッグを組んだ時代劇コメディ。

 鶴橋監督自身が脚本も兼任し、小松重男の短編小説集「蚤とり侍」の人気エピソードをもとに再構築した。

 長岡藩のエリート藩士・小林寛之進は、運悪く藩主の機嫌を損ねてしまい、猫の「のみとり」の仕事に就くよう命じられる。それは文字通り猫ののみを取って日銭を稼ぐものだが、実際は床で女性に愛をお届けする裏稼業であった。

 長屋で暮らすのみとりの親分・甚兵衛のもとで働きはじめた寛之進は、初めてののみとり相手であるおみねから下手くそと罵られたものの、伊達男・清兵衛の指南によって腕を磨いていく。そんな中、老中・田沼意次の失脚を受けてのみとり禁止令が敷かれ、寛之進らは突如として犯罪者扱いされてしまう。

 おみね役の寺島しのぶ、清兵衛役の豊川悦司ら、共演にも豪華実力派俳優がそろう(映画.com)。

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2018/05/20.Sun

ヘンリー王子結婚 多様性認める英国 変化を世界に発信(2018年5月20日配信『毎日新聞』)

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大勢の人の祝福に笑顔を見せるヘンリー王子とメーガン・マークルさん=ロンドン近郊で19日、AP

 故ダイアナ元妃の次男ヘンリー王子と、アフリカ系米国人の母を持つ俳優メーガン・マークルさんの結婚は、英王室に新しい風を吹き込み、時代に合わせて多様性を受け入れる王室の意思を国内だけでなく世界に示した。兄のウィリアム王子(35)、妻キャサリン妃(36)をしのぐ人気の2人は、高齢のエリザベス女王が支える英王室を兄と共に安定化させる存在となりそうだ。

 英王族の男性と米国人女性の結婚は、国王を退位して1937年に離婚歴のある米国人女性と結婚したエドワード8世以来。かつては欧州の王族と同盟関係を強めるために婚姻を利用したが、アフリカ系の血を引く結婚は初めて。

 交際発覚当初から、マークルさんは王室の歴史や伝統の壁に直面してきた。一部メディアはマークルさんの離婚歴や人種などを批判的に取り上げ、ネット上では「白人以外が王室に交じるのは許せない」などといった書き込みも目立った。ヘンリー王子は、こうした報道に自制を促す声明を出すなどしてかばった。

 婚約直後の昨年11月、ヘンリー王子はマークルさんと共にBBCのインタビューに応じ、「変化をもたらしたい」と答えた。式には政治家を招待せず、戦地で障害を負った兵士らを招待。兄の結婚式と同様に、贈り物を受け付けない代わりに慈善団体への寄付を呼びかけた。

 マークルさんは既に王室の行事に参加している。観客の少女らを抱きしめてあいさつしたり、イベントでセクハラ問題について「女性は自らの声を発する必要がある」と政治的ともとれる発言をしたりするなど、慣習にとらわれない言行を見せている。

 しかし、そのスタイルは英国民にヘンリー王子の母のダイアナ元妃を連想させ、好意的に受け止められている。

 元妃は親子の関係を大切にして王子を映画館に連れていくなど、慣習に抵抗していたからだ。

社会の進歩映し出す…英アストン大のエリス・カシュモア客員教授

 英国民はセレブの結婚式のように受け止め、多くはマークルさんの人種問題や経歴を気にしていない。

 王室は国民を代表する存在だ。社会が変わり多様化が進む現在、アフリカ系の血を引く女性が王室に入ることは、まさに今の英国を表している。社会が作り出した進歩的な考え方を映し出している。

 キーワードは親しみやすさだ。ヘンリー王子は過去にさまざまなスキャンダルを起こしていることで逆に人気がある。兄ウィリアム王子より親しみやすく、パブで会っても気軽に話せるような存在だ。

 マークルさんは俳優としての人気と共に、自分の意見を述べる自立した人物として受け止められている。メディアの扱い方にもたけており、注目を集めるという意味で王室にとっては完璧な花嫁だ。

 エリザベス女王はこうした変化を好んだとは思わないが、あらがうことができないことを認識していたはずだ。新しい潮流は逆戻りしない。


 【略歴】

メーガン・マークル
 1981年、米ロサンゼルス生まれ。母はアフリカ系米国人のヨガインストラクター、父は白人でテレビ照明技師。両親は離婚している。米人気テレビドラマ「スーツ」などに出演する一方、女性の地位向上を目的とする国連組織「UNウィメン」の活動にも参加している。

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2015年に行われた「UN Women」でのスピーチ

ヘンリー・チャールズ・アルバート・デービッド
 1984年生まれ。チャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の次男。王位継承順位は6位。名門校イートン校を卒業後、陸軍士官学校に入学。アフガニスタンでも任務に就いた。除隊後、戦争で障害を負った元兵士たちの競技会に関わるなど慈善活動に参加している。



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2018/05/20.Sun

裁かれる国家の「犯罪」 週のはじめに考える(2018年5月20日配信『東京新聞』-「社説」)

 国家の「犯罪」と呼ぶほかありません。障害者らに子どもを産ませない手術を強いた旧優生保護法。悲劇を招いた責任を問う怒りの裁判が相次ぎます。

 宮城県の児童施設にいた1957年の14歳のころ、全く事情を知らされないまま精管を縛る不妊手術をされたというのです。施設の仲間から後日にその意味を聞かされ、驚くしかなかった。

 今は東京都で暮らす75歳のこの男性は17日、国の謝罪と賠償を求め、東京地裁への提訴に踏み切りました。憲法が保障する子どもを産み育てるかどうかの自己決定権を奪われたと訴えている。

「人生を返して」

 40年連れ添った妻が5年前に白血病で逝く寸前まで、手術のことを打ち明けられなかった。「一人の女性を不幸にしてしまった。私の人生を返してほしい」。怒りとやり切れなさはいかばかりか。

 障害があると診断されたこともないという。でたらめな手術が横行していた疑いが濃厚です。

 「不良な子孫」の出生防止を掲げた優生保護法が定められたのは48年です。現憲法が施行された翌(あく)る年、世界人権宣言が国連で採択されたのと同じ年。先の大戦の過ちを反省し、国際的に人権保障の機運が高まっていた時期です。

 日本は逆行するように、個人の尊厳と権利を踏みにじる仕組みをつくった。しかも、満場一致の議員立法でした。人権意識がいかに未熟だったかがうかがえます。

 遺伝性疾患やハンセン病、精神障害、知的障害などを理由に、不妊手術(断種)や人工妊娠中絶を施すことを可能にした。

 法律名の「優生」とは優生思想に由来します。人間に優劣の序列をつけ、優れた人を保護し、劣った人を排除することに価値を見いだす考え方といえるでしょう。

優生思想の呪縛


 ちょうど戦後の復興期。引き揚げや復員、ベビーブームで過剰になった人口を抑えることが重要な政策課題でした。人口の「質」を向上させつつ「量」を管理することが焦点だったのです。

 やがて障害のある子どもを「不幸」とみなす優生運動が兵庫県を皮切りに広がる。高度成長は障害者の犠牲の上に実現したのです。

 70年代には出生前診断の普及を背景に、胎児の障害を条件に中絶を認める規定を設ける動きもあった。脳性まひ者らの「青い芝の会」が反発するも、法律の不平等性、非人道性は問われなかった。

 優生思想に根差した条文を削除した今の母体保護法に改められる96年まで、優生保護法は半世紀もの間生きていました。社会の偏見や差別が被害者に沈黙を余儀なくさせてきたと思うのです。

 統計に残るだけでも、約1万6500人が不妊手術を強いられました。身体を拘束したり、麻酔薬を使用したり、うそをついてだますことさえ、国は認めていた。

 さらに、同意を得たとして約8500人が不妊手術を、約5万9000人が中絶を施されました。強要されたのかもしれない。そもそも無辜(むこ)の個人の私的領域に、国家が介入すること自体がおかしい。

 にもかかわらず、政府は「当時は適法だった」と強弁し、国会は救済立法を怠ってきた。私たちメディアも無関心でした。

 優生思想の呪縛は恐ろしい。すでに古代ギリシャの哲学者プラトンの『国家』で肯定的に述べられています。人類史に重大な影響を与えたのは、英国の遺伝学者フランシス・ゴルトンが19世紀に唱えた「優生学」でしょう。

 いとこにあたるダーウィンの進化論に刺激され、人為的に遺伝的素質を改良すれば、人類は進歩すると考えた。それが近代科学の装いのもとで支持を集めていく。

 20世紀に入り、劣悪な遺伝的素質を断ち切るとして、米国をはじめ世界各国が断種法をつくりました。戦時下の日本もナチス・ドイツにならい、優生保護法の前身となる国民優生法を定めた。

 ナチスは約36万人の障害者らに手術を強いたばかりではなく、虐殺に及びました。その犠牲者は20万人を超すといわれる。

 それでも、ドイツは80年代には補償金の支給を始めた。約6万3000人に手術を強いたスウェーデンは、90年代に国の調査委員会を設けて補償制度をつくった。

良心と勇気の声を


 日本ではさる1月、宮城県の60代の女性が先駆けて司法の良心に裁断を仰ぎました。それを契機に、国会は救済の必要性に目覚め、政府は調査に乗り出した。やはり鈍い人権意識です。被害者は年輪を刻み、時間との勝負です。

 東京の男性にも、北海道と宮城県で同日に提訴した男女2人にも被害を裏づける記録がありません。1人でも多くの被害者と真相を知る人に、勇気を出して声を上げてほしい。私たちも支えます。



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旧優生保護法下における強制不妊手術に関して提訴後、記者会見を行う原告の男性=東京都千代田区で2018年5月17日午前10時17分



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旧優生保護法関連
2018/05/19.Sat

月昼 5月21日は、子規記念博物館見学

s-松山広報

午前10時現地集合

見学料は月昼から支払う

65歳以上であることの証明書(免許証・保険証等)・障害者手帳を必ず持参のこと


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 のぼり旗の酒井政俊は大阪の旅回り一座・大成団(酒井政俊一座)の座長。愛媛県下浮穴郡大南村(現・砥部町)出身でのちに「劇界の至宝」「日本現代演劇の父」とよばれた井上政夫(のち正夫)(本名小坂勇。1881~1950)は、奉公先の大阪で新派を観て感動。1898(明治31)年5月、大成団に入り、師匠・酒井政俊の「井」と「政」の字をもらっての芸名で出演し、次第に頭角をあらわしていった。



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月曜昼の部
2018/05/19.Sat

強制不妊手術 政治主導による救済 一刻も早く(2018年5月19日配信『愛媛新聞』-「社説」)

 旧優生保護法下の強制不妊手術を巡り、国に損害賠償を求める提訴が拡大している。戦後、「不良な子孫の出生防止」という優生思想に基づき、障害者らへの不妊手術が繰り返された。あからさまな差別であり、個人の尊厳を踏みにじる断じて許されない非人道的行為だ。

 国は「当時、合法だった」として謝罪も補償も一切せず、今も訴訟で争う姿勢を崩していない。だが、国策によって人々を苦しめ、未来を奪ったことに違いはない。1996年に「障害者差別に当たる」として旧法を母体保護法に改定したとき、救済すべきだった。

それ以降長く放置した責任も重い。被害者は高齢となっており、これ以上の解決の引き延ばしは認められない。国には、裁判の結果を待たず、政治主導の全面救済に一刻も早く乗り出すよう求めたい。

 不妊手術を施された障害者らは約2万5千人で、うち強制されたのは約1万6500人とされる。法制定から70年。被害者が声を上げることでようやく実態が明らかになってきた。対象者は児童にまで及び、だました上での手術すら容認された。旧厚生省は、実施が予算上の目標に届いていなければ件数を増やすよう各都道府県に通知。自治体はそれに応じていた。

 国は、厳格な手続きを経ていたと主張して補償を拒んできたが、残された資料からは、ずさんな運用実態も浮かんだ。本人同意のない不妊手術の適否を判断する都道府県の優生保護審査会は形骸化、「貞操感がない」など偏見に満ちた理由で、診察さえしなかった疑義が生じている。旧法が禁じた子宮摘出や放射線照射の例もあった。国は先月全国調査に着手したが、実態の究明と政策の徹底検証をしなければならない。

 相談窓口の充実など、当事者が声を上げやすい環境整備も欠かせない。被害者は自分で意思を伝えられず、差別や偏見を恐れて泣き寝入りしてきた家族も多いとみられる。年月の経過に伴って、強制手術を裏付ける公的資料が廃棄され、個人の特定も困難になった。記録のあるなしで救済の線引きをすることはあってはならず、国は当事者の証言を尊重した補償制度を構築する必要がある。

 強制不妊手術が、基本的人権を定めた日本国憲法下で行われたという信じがたい現実を、国はもとより社会全体が重く受け止め、省みなければならない。旧法は議員立法により制定された。国会は誤った国策を止めるどころか推進。審査会を運営した自治体も医学界も、民生委員らもこぞって流れに乗り「本人のため」と手術を働き掛け、追い詰めた。法が見直されたのはわずか22年前。相模原障害者施設殺傷事件で露呈したように優生思想は今も根強く残る。

 国は障害者白書などで共生社会の実現をうたう。そのために必要なのは、まず国が率先して過ちと正面から向き合い、深い反省を示すことである。



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旧優生保護法関連
2018/05/19.Sat

障害者雇用/特性に応じた環境づくりを(2018年5月19日配信『河北新報』-「社説」)

 企業などに障害者を一定割合以上で雇用するよう義務付ける障害者雇用促進法が改正され、4月から雇用率が引き上げられた。従来の知的・身体障害者に加え、新たにそううつ病や統合失調症などの精神障害者も雇用義務の対象となった。

 企業や自治体は雇用促進はもちろん、障害者の特性に応じた配慮や環境づくりが求められている。

 障害者の雇用率は4月から、企業が2.2%、国や自治体が2.5%、教育委員会が2.4%とそれぞれ0.2ポイント増えた。2020年度末まで、さらに各0.1ポイント上乗せされる。対象となる企業規模も従業員50人以上から45.5人(短時間労働者は0.5人で計算)以上と拡大された。

 昨年6月1日時点の雇用率を見ると、東北6県では福島と宮城が全国平均1.97%を下回っている。特に宮城は14年、15年と2年連続で全国最下位となっており、障害者雇用は遅れていると言わざるを得ない。事業主らは企業の社会的責任を自覚する必要があるだろう。

 宮城県では17年、従業員50人以上の企業の雇用障害者数は5357.5人と過去最多だったが、雇用率は1.94%で全国42位と下位に甘んじた。雇用率の未達成企業は46.8%で、その6割は一人も障害者を雇っていない。

 さらに、範を垂れるべき宮城県教育委員会も昨年6月時点で法定雇用率に達せず、自治体も登米市や角田市など10市町で法定雇用率を満たしていなかった。

 そうした中で、全国的にも先駆的な取り組みをするのが栗原市の関係者たちだ。

 旧10町村が合併する前の03年、保健所や職業安定所、企業などが連携して障害者就労を支援する「ネットワーク会議」を設立。05年の合併後は名称を変えて活動し、就労セミナーを14年間開催したり、企業訪問したりしている。官民協働のネットワークがすっかり地域に定着した。

 それに加え、実習や訓練、就職後のサポートなどに保健師やNPO関係者、事業主らが携わるネットワークも機能し、障害者が孤立しないよう一人一人を支えている。

 そうした取り組みは他の地域でも参考になるのではないか。各地域が就労支援の枠組みを模索するべきだ。特に企業が集中する仙台市は、官民が連携して障害者の社会参加を充実させてほしい。

 企業も単に雇用すればそれでいいわけではない。事業主や職場の人が、障害特性に関する正しい知識を得て理解を深めることが重要となる。障害者が働きやすい環境かどうかは、働き手を大事にする企業かどうかを測る指標の一つともなるだろう。

 障害者にとって、就労は社会的自立につながる第一歩。障害のある人もない人も共に働くのが当たり前の社会を築きたい。



広報Y.T
広報部
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